好みの問題

 

先日、twitterにて、あるフォロワーさんがこんなツイートをしていた。

 

「好みの問題」というワードを使う人とは音楽の話をしたくない。「好みの問題」で全てを解決した気になるのは程度が低すぎるのではないか。(要約)

 

100%同意できる。この手の話は、別に音楽に限ったことじゃない。趣味全般についても同じことが言えると思う。

そこで、なぜ<好みの問題>で全てを解決したがるのか、その理由について書いていきたい。ところが、下書きが5000字程度に膨れた頃合いに、ぼくはめちゃくちゃ根本的な理由に気づいてしまった。なので、その理由だけ書く。(なぜこのことに今まで気づかなかったのか…)

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8/11の日記 下鴨納涼古本まつり

 

公開講座から1日置き、糺ノ森というところで行われる古本まつりに行ってきました。

写真を撮るのを忘れるくらい楽しかった…。

 

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この1枚だけ…。

道の両脇にテントがずらーっと並んでて、かなり見応えがありました。

 

一般書だけでなく、雑誌、漫画、絵葉書、映画のパンフレットもちらほら。

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8/9 京都探検記

 

この日のメインは京大の公開講座

どうせならと思い、自宅を早めに出て、あらかじめ古書店が多いと話に聞いていた寺町京極・寺町通を歩いて行った。気になる店がめちゃくちゃ多い。

 

其中堂

商店街の中にある古書店

仏教書がメインで、店頭のワゴンに社会科学系の本が少し置いてある程度。

「科学以前」(著:下村寅太郎)を300円で購入。装丁が渋い。

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人はなぜ不安になるのか

 

 今に始まった事ではありませんが、日々思ったことをすぐにつぶやけるツイッターを代表として、ネットは多くの情報で溢れています。それらのなかでも、愚痴や罵倒など、見ていてあまり気持ちのよくない言葉というものは特に目につきやすい。こういった言葉を見るたびに私も嫌な気分になるので、なるべくそういった発言はしないようにしています。なかには、”嫌だったら見るな”論法を使い、このような反論をしてくる人もいるでしょう。「ブロック(ミュート)すれば済む話じゃないか!」と。しかし、そんな単純な話で終わらせてはいけないはずです。


 仏教に”三毒”という言葉があります。これらは「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」といい、簡単に言うと、貪は自我、瞋は怒り、癡は無知を意味します。これらをひっくるめて、わかりやすい1つの言葉に表すなら”自意識過剰”がぴったりでしょう。仏教ではこの”自意識過剰”は煩悩とされ、人間の苦しみの根源だとされているのです


 実は、日頃から愚痴を言ったり罵倒したりする人に「自我、怒り、無知」がよく見受けられます。このような人々は”自意識過剰”なのかもしれません。しかし、三毒は煩悩でもあるため、悟りでもしないかぎりこれらの煩悩をなくすことはできません。誰にでも”自意識過剰”に陥る可能性はあるのです。では、苦しみの根源とされる”自意識過剰”はどのようにして助長されていくのか。

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【読書記録】資本主義の預言者たち

 今回取り上げるのはこの本。

 

 この本は2009年に出版された『恐怖の黙示録ー資本主義は生き残ることができるのか』に加筆・修正したもの。2008年のリーマンショックを受けて、19世紀〜20世紀にかけて活躍した5人の経済学者の見解を振り返りつつ、これからの資本主義はどうあるべきかを考える内容となっている。ただし、この本の中心テーマは”経済思想”の振り返りであって、具体的な解決策を提案するものではない。したがって、これから書くことにグラフやデータは出てこないし、わりと抽象的な話になると思う。

出発点

 人は意見を発表するとき、必ず理論を組み立てる。僕にとっては、卒業研究が持論を発表する大きな機会となるわけだけど、卒業研究をするキッカケや動機といったものに「ヴィジョン」が深く関わってくる。「ヴィジョン」とは、理論の前提や基盤となるもののことで、それは日常生活のなかで得られる知識や経験を通じて形成される。「机上の空論」という言葉があるとおり、理論を組み立てる上で、日々の実践から得た経験は欠かせないものなのだ。

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