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「対立」から脱却したい。

 

 ネットをしていると、嫌でも誹謗中傷が目に入ってくる。最近の例としては、某フリーアナウンサーが「人工透析患者は自業自得だから殺せ」という内容のブログを書いて炎上。<自己責任>や<自業自得>という言葉を使う人間がぼくはあまり好きじゃないけど、そういった私情を脇にどけて考えても、とても擁護できるものじゃなかった。かといって非難しようとも思わなかった。

 

アメリカにおける問題

 話はかなり飛ぶが、アメリカの生活環境について。
 
 アメリカの地方では、買い物の選択肢がかなり少ない。大手スーパーマーケットとファストフード店の二者択一といってもいいくらい。そのうえ、低所得者層にとって野菜は非常に高い。だから、彼らはどうしてもジャンクフード中心の食生活になってしまう。これはそうせざるをえない環境に追い込まれていると言ってもいい。
 
 さらに事態を深刻にしているのが食育の不徹底。一般的な日本人の目からは、アメリカの食習慣が異様に見えるかもしれない。しかし、彼らには「不健康な生活を送っている」という自覚があまり強くない。小さい頃からマウンテンデューをガバガバ飲んでいたせいで、20歳になる頃には歯がボロボロになっている、なんてケースも珍しくない。
 
 ちなみに、アメリカ人のおよそ65%がやや肥満 or 肥満に分類されるらしい。前述のような状況を考えれば、そんなに驚く数字ではない。アメリカにおいてまともな食事を摂れる人は、だいだい下の3つの類型に限られていると思う。
 

 

 分断する人たち

 アメリカの肥満問題に対して、主流派経済学者はお決まりのワードを持ち出す。主に<自己責任論>と<個人の効用の最大化の帰結>。例えばこんな風に。
 
  • 「バランスのとれた食生活ができないのは、十分に稼ぐ能力を持ち合わせていないからだ」
  • 「ジャンクフード店しか食べるところがない?あなたがそう望んだんでしょう?」
 
 アメリカの肥満問題と人工透析の件とでは、細部において異なる点が多い。しかし、両者の根っこの部分では共通していることがある。些末事なんかよりも先に、その根っこの部分に焦点を当てるべきだ。アメリカの肥満問題にしろ人工透析の問題にしろ、その根底についてまったく考えようとしない。それがそもそもの問題なのではないか。
 
 某アナが(意図していなかったにせよ)やろうとしたことは、<人工透析患者>と<人工透析患者でない人>の二つに分断し、両者の間に見えない溝を作ることだった。また、アメリカの主流派経済学者がやったことは、アメリカ国民を<低所得者層>と<富裕層>に分断し、根底にある問題を覆い隠すことだった。例えるなら右翼と左翼、キリスト教イスラム教のように。
 

『国のために死ねるか』

 

 

 著者は日体大を卒業すると海上自衛隊に入隊。その後に「特殊部隊」の創設に関わったことで知られている。自衛隊を辞めてからは、フィリピンのミンダナオ島で訓練を重ね、現職の自衛官や警備会社にアドバイスを行なっている。

 ミンダナオ島といえば、反政府組織の拠点とされているところ。そんな場所で実戦経験を積んできた人だからこそ、この人の言葉にはとても説得力があるし、重みもある。

  著者は「国家として何を目指したいのか?」ということをこの本のなかで問いかけている。それはつまり「最終目的」であり、国の根底に横たわっているものだ。この国家理念が何も決まっていない状態で今議論されているのが安保法制や、憲法改正の問題。国家理念さえハッキリしていれば、これらの問題を解決するのはそう難しくないはず。

  しかし、国家理念について議論されることはない。むしろそれを避けているのではないか。これでは<賛成>か<反対>の二つに分かれ対立し、お互いがお互いを攻撃するだけで何も決まらない。

 

釈迦はなぜ悟れたのか?

 またまた話は飛ぶ。
 
 釈迦は「互いに対立しているという点において、どの説も相対的であり、絶対的真理ではない」というようなことを言っている。
 
かれらは異なった執見をいだいて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人ではない」と言う。これらの人々はみな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真実なのであろうか?(『スッタニパータ』)
 
 
 (※…引用文に出てくる「かれら」というのは、釈迦が生きた紀元前5世紀の頃に現れた思想家たちのことをさしている。バラモン教の腐敗が目立ったのがちょうどこの時期で、唯物論や虚無論など、バラモン教からすれば異端ともいえる思想が生まれた。)
 
 釈迦が真理を見出せたのは「有」と「無」との対立する概念を超越し、「空」を悟ったからだ。では、これを現実問題への対処に応用してみるとどうか。問題の枝葉末節に囚われることはなくなるだろう。問題の根っこに焦点を当てることができればそれでいい。「何らかのポジションに立たないと議論に参加できない」という先入観も取り払われる。
 
 件のブログのように、人々を二つに分断しようというバイアスはできる限り捨てないといけない。
 

終わりに

 『国のために死ねるか』を読み終え、一番最初に頭に浮かんだのが「空」の概念でした。なのでかなり乱暴ではあるけれど、それとリンクさせて書いてみました。
 
 一つ目の項目で少し触れたアメリカの現状は、マイケル・ムーア監督の作品のどれかで描かれていました。タイトルはなんだったっけ…。思い出せないので代わりにこれを貼っておきます。

 

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (文春文庫)

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (文春文庫)

 

 

  『国のために死ねるか』は、今年読んだ本のなかで(今のところ)一番おもしろい本です。ぜひ読んでみてください。

 
 
 
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