人はなぜ不安になるのか

 

 今に始まった事ではありませんが、日々思ったことをすぐにつぶやけるツイッターを代表として、ネットは多くの情報で溢れています。それらのなかでも、愚痴や罵倒など、見ていてあまり気持ちのよくない言葉というものは特に目につきやすい。こういった言葉を見るたびに私も嫌な気分になるので、なるべくそういった発言はしないようにしています。なかには、”嫌だったら見るな”論法を使い、このような反論をしてくる人もいるでしょう。「ブロック(ミュート)すれば済む話じゃないか!」と。しかし、そんな単純な話で終わらせてはいけないはずです。


 仏教に”三毒”という言葉があります。これらは「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」といい、簡単に言うと、貪は自我、瞋は怒り、癡は無知を意味します。これらをひっくるめて、わかりやすい1つの言葉に表すなら”自意識過剰”がぴったりでしょう。仏教ではこの”自意識過剰”は煩悩とされ、人間の苦しみの根源だとされているのです


 実は、日頃から愚痴を言ったり罵倒したりする人に「自我、怒り、無知」がよく見受けられます。このような人々は”自意識過剰”なのかもしれません。しかし、三毒は煩悩でもあるため、悟りでもしないかぎりこれらの煩悩をなくすことはできません。誰にでも”自意識過剰”に陥る可能性はあるのです。では、苦しみの根源とされる”自意識過剰”はどのようにして助長されていくのか。

 

 

不安にどう対処するか

「人間の苦しみの根源は”自意識過剰”である」とはどういうことか、それはつまり自意識過剰から生み出された不安によって自意識過剰が助長される、ということです。具体的に言えば、愚痴や罵倒によって負の感情にさらに拍車をかけることになる。自分で自分の首を絞めることになるのです。


 しかし裏を返せば、「自我、怒り、無知」を認識し、それらを克服しようとしていくことで、”自意識過剰”から生まれる不安は減るということです。例えば、自我を弱めようと思えば次のことができると思います。

  1. 自分の先祖をたどる。
  2. 長くに渡って受け継がれてきた伝統や文化の素晴らしさを知る。

 これらを通して、遠い昔から現在にかけての1本の線上に自らを据え、社会的存在としての自己を強く認識するということです。つまり、自分が生きている世界が先人の努力によって支えされているということを自覚できれば、独りよがりな発想は出て来ないはずです。

 

わかりやすいものに飛びついてしまう

 しかし、「自我、怒り、無知」を克服するのも勇気がいるものです。とりわけ”無知”を克服しようとするのが一番怖い。なぜなら、「自分は無知である」と認めなければならないからです。


 それに比べて、より簡単な方法で、アイデンティティーが持てたと錯覚してしまうことがあります。ある特定のイデオロギー等に与することです。ネットで特に目立つのはいわゆる「ネトウヨ」で、現実の世界ならカルト宗教があげられるでしょう。しかし、そのようなものに飛びついて一時的に不安から逃れることができても、最終的に”自意識過剰”をこじらせることに変わりはありません。


 また、厄介な点がもう1つあります。これらは、何も信じられるものがない状況に陥ってしまった人にはとても魅力的に見えてしまうということです。不安から早く逃れたいという焦りも相まって、よく見てみれば論理的に矛盾していたり理想を謳っているだけのイデオロギーに飛びつきやすくなります。

 

相対主義という落とし穴

 「わかりやすいものに飛びついてしまう」ということの背景には、自分なりの考えを持つという行為に、漠然とした不安が感じられることがあるのではないでしょうか。例えば、誰かと意見を戦わせる場で「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな。」と言われたらそれでおしまいです。「人それぞれだから」という言葉はツイッターでよく見受けられます。たわいもない話のなかで出てくるのならまだよいのですが、政治などの最終的に決断を下さなければならない分野で、このフレーズを使ってはいけないはずです。


 このような風潮を作り出している罪は非常に大きい。何が正しいのかわからない、何に頼ればいいのかわからない状況(社会)を自らの手で作り出しているようなものです。そして、それは多くの人を不安の渦に巻き込んでいく。

 

確固としたアイデンティティーを持つ

 強いアイデンティティーとは、「雨ニモマケズ」に表されているように、打たれ強く、いつも穏やかでいられることではないでしょうか。アイデンティティーは一時の情動、自分1人の都合によるものであってはなりません。それはアイデンティティーではなく、ただの”自意識過剰”です。時間と労力をかけて培われたものこそ、確固とした基盤となり得る。


 自分の基盤を作るには、他者との対話が不可欠です。1人で無知の状態から思考を巡らせてみても時間の無駄でしょう。例えば、プラトンを初めとする西洋哲学では、複数の登場人物による対話形式で書かれた書物は多い。西洋は対話を通してアウフヘーベンを行い、論理を作り上げてきた歴史があります。議論できる相手がいなければ、読書も1つの手でしょう。

 

以下の2冊がオススメです。どちらも3〜4時間で読めますよ。

不安を減らすにはたくさん読書をするのが良いと思います。

 

違和感の正体 (新潮新書)

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思考停止という病

思考停止という病