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帰ってきたヒトラー

映画

 

 先日、公開されたばかりの映画を観に行った。

 この映画の原作小説は、ドイツ国内で200万部も売れ、世界41カ国で翻訳されているそうな。実はだいぶ前からこの原作を持ってるんだけど、読んでも読んでも減らないぼくの積読コーナーに並べられたままで、結局未読の状態で観に行った…。でも原作とは結末が違うらしく、そこはとても楽しみにしてる。

 

 

 作中では、ヒトラーに扮装した俳優が現実のドイツの市街地に突然現れ、たまたまその場に居合わせた人々に現状の政治についてインタビューしたり、政治家と話したり、ドイツ国民のリアルな反応も収録されている。ヒトラーが2014年のドイツに現れる、という設定のフィクションの話だが、そういったドキュメンタリー要素もあってかなりおもしろい。

 

 思い返せば、おもしろいシーンはいろいろあったし、同じ映画館で見てたお客さんも結構笑ってたように思う。特に笑いを誘ったのはもちろんこれ(笑)。

 

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 総統閣下!

 これ、日本のネット文化特有のネタかと思ってたけど、どうやらドイツでもネタにされているようで。本作中においても、総統閣下ネタがきちんと踏襲されていた。さすがドイツ。

 ただしこの映画、最初の1時間は笑えるんだけど、それ以降はだんだん笑えなくなってくる。なぜなら”民主主義の怪物は何時だって現れる。お前ら他人事じゃねーぞ!”というのが本作のテーマとなっているからだ。

 

なぜ今、ヒトラーなのか?

 

 なぜ今、タブー視されてきたヒトラーを持ち出してきたのか。その理由は、現在のドイツで右翼過激派の運動が目立つことにある。2015年には、極右の政治的な理由による犯罪が2万3000件に達し、2001年に調査が始まって以来最高の数字となった*1。「歴史はくりかえす」という言葉があるように、いつまでもヒトラーから目を背けてはいられない。再び同じ過ちをくり返さないためにも、改めてヒトラーを真正面から見据えなければならないという危機感が原作者にはあるのだと思う。

 ファシズムの歴史を振り返る際に注意しなければならないのは、最終的に独裁政治に行き着くナチス政権は、あくまで民主主義的な手続きを踏んで誕生したということ。一般的には「ヒトラーといえば独裁」というようなイメージが強いと思うが、ヒトラーを選んだのはその当時のドイツ国民だった。つまり、これまでヒトラーをタブー視してきた背景には、ヒトラーにすべての責任を押し付けることで、民主主義の負の面を覆い隠そうとするような意識があったのではないだろうか?

 次章で民主主義について触れる前に、ナチスが台頭していく頃の情勢を簡単に下にまとめてみる。

 第一次世界大戦が終わると、ヴェルサイユ体制を迎えたヨーロッパは軍縮へと向かい、国際連盟の設立を経て、一時平和な1920年代を築く。しかし、1929年に世界恐慌が起こり、失業者はどんどん増え、社会情勢は不安定になっていく。こうした不安定な状況のなかで、民族主義を掲げるナチスが躍進し、1933年ヒトラーヒンデンブルク大統領から首相に任ぜられる。その翌年にヒンデンブルク大統領が死去してからは、ヒトラーみずからが大統領の職をも兼任することになる。こうしてヒトラー独裁政権が誕生する。

 

複雑化する社会に適応できない個人

 

 大戦期のドイツと21世紀の現代を比べると、現代の政治が抱える問題はより複雑なものになっていることがわかる。それは主に次の2つ。

  1. 民族主義ナショナリズム
  2. 情報伝達技術の発展

 一つ目の問題は、ナチスが掲げたのは民族主義だったのに対し、現在の右翼は移民受け入れへの反動からナショナリズムに突き動かされているということ。第二次世界大戦終結以後のドイツは、移民国として発展してきており、移民の背景を持つ国民の割合は5人に1人(2008年)*2そういった国民の割合が高まる一方で、移民を背景に持たないドイツ人は少子化の影響を受けて年々減少している。少子高齢化、さらには労働力不足の弊害を小さくするために、政府は移民を受け入れざるを得ない状況で、移民の割合が減る見込みはない。ヒトラーがこの状況を見たらどう思うだろうか。

 もう一つの問題は、ナチスが台頭した1930〜1940年代と現在では、情報伝達技術のレベルがまったく違うということ。特にSNSの持つ力はかなり大きい。そのことについてはこの映画においても触れられており、ヒトラーは「ネットを使えば大衆扇動はもっと楽になる」といった内容の発言をしていた。テレビでさえ一般家庭に普及し始めたのは大戦以後のことで、大戦期といえばやっとラジオ放送が始まった程度だった。

 

民主主義に対する幻想と限界

 

 二度の大戦後、アメリカは「民主主義や自由はとても素晴らしいものだ」といって、それらを世界で普遍のものとみなし広めてきた。その一方では、多様性や平等の尊重が叫ばれてきた。これらの価値観に加え、現在の世界ではグローバル化がどんどん進められている。すると、民主主義の国どうしの軋轢はますます大きくなっていく。軋轢が大きくなってくると、各国の国民の鬱憤はどんどん膨らんでいく。思想も右翼のようにより極端で過激なものになっていく。思想が過激になれば、もはや冷静な議論は意味をなさなくなり、最終的にはナチスが台頭した頃と同じような状態に行き着いてしまう。

 これまで民主主義について、本質的な議論を避けようとしてきた。「民主主義は素晴らしいものなんだ」というレッテルを貼ってそれでおしまいだった。そんなことではあまりにも幼稚すぎる。まずは”人々が盲信する民主主義というモデル”を現実社会に当てはめようとすることをやめない限り、問題を根本から解決することは難しいだろう。

 

gaga.ne.jp

 

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