【読書感想】中勘助『銀の匙』

 中勘助東京帝国大学に在学中、夏目漱石の講義を何度か受けていた。あるとき、原稿の閲読を漱石に請うたところ、これが「珍しさと品格の具はりたる文章と夫(それ)から純粋な書き振」と絶賛される。そして、漱石がみずから東京朝日新聞社に連載を依頼した。一連の連載がまとめられたものが『銀の匙』である。

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【読書感想】梅棹忠夫『知的生産の技術』

 

知的生産の技術 (岩波新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

 

 

 書かれたのが1968年ということもあって、「元祖ライフハック」として有名な本だ。2015年5月25日時点で96刷というのだから、およそ50年たった今でも多くの人に読まれていることがわかる。

 ただし、ここで強調しておきたいのは、今日に巷にあふれている「ライフハック」とは一線を画すものだということである。意外にも、「ライフハック」や「効率化」という言葉を忌避しがちな自分にとって、この著書はとても刺激的だった。あらゆる情報が大量生産・大量消費されていく現代において、半世紀にもわたって読まれ続けているということは、そこに普遍的な価値があるからにちがいない。

 具体的な方法論について知りたければ、他にもたくさんレビュー記事があるので、そちらをあたってほしい。「理屈はいいからはやく方法論を教えてくれ」と思う方がいるかもしれない。しかし、この本の冒頭で、梅棹は次のように前置きしている。

この本でわたしは、たしかに、知的生産の技術についてかこうとしている。しかし、これはけっして知的生産の技術を体系的に解説しようとしているのではない。これは、ひとつの提言であり、問題提起なのである。(中略)よんでいただいたらわかることだが、この本は、いわゆるハウ・ツーものではない。この本をよんで、たちまち知的生産の技術がマスターできる、などとかんがえてもらっては、こまる。(中略)どのようなものであれ、知的生産の技術には、王道はないだろうとおもう。(中略)合理主義に徹すればよい、などと、かんたんにかんがえてもらいたくないものである。

梅棹忠夫『知的生産の技術』p.21)

 前置きにしたがって、方法論ではなく、問題提起となる部分をピックアップしていきたいとおもう。

現代のライフハックが見落としていること

技術に振り回されてはいけない

 「これまで多くのライフハック記事を読み、試してきたが、ひとつとして長続きしなかった・・・」という経験があるとおもう。その原因としては、効率化を重視するあまり、「方法論」や「技術論」に終始してしまうということがあげられる。方法を習得することが目的化してしまっている、といってもいいだろう。

 それにたいして、梅棹は「方法の習得=目的」を問題視する。方法や技術はあくまでも手段であって、それ自体は目的になりえないからだ。何か大きな目標を達成しようとするとき、はじめて方法や技術が活きてくる。ということは、大きな目標を持たないからこそ、技術に振り回されるのではないか。

 この梅棹の問題提起は、「合理主義に振り回されるな」という意味で、近代における「疎外」の議論と共通するところがあるのではないだろうか。

彼らは一つの悲劇的な矛盾が近代技術の発展に内在していると信じている。すなわち、個人の目的に役立つためにつくり出された機械が非常に大きな力を獲得して、人間の意のままにならないものになってしまったということである。機械は人間の自律の実現には役立たないで、人間に対して勝利を占めたのである。技術の発達はーーーわれわれの生み出したものでありながらーーーわれわれの指揮監督から解放されて、自分に固有な法則にしたがって動いているように見える。われわれは自分自身の生み出したものをどうすることもできずにいる。

(F. パッペンハイム『近代人の疎外』p.42,43)

 たしかに、技術に振り回されるのは避けようのないことかもしれない。しかし、だからといって、技術にたいして悲観的になりすぎるのもどうだろうか。

 そもそも、なぜ技術に振り回されているのか、その原因を整理しなければ何も始まらないだろう。「大きな目標を持っていないから」は先ほど述べたとおりだが、もうひとつ考えられるのは「自分のあたまで考え、試行錯誤することを怠っているから」ということである。梅棹は次のように主張する。

知的生産の技術について、いちばんかんじんな点はなにかといえば、おそらくは、それについて、いろいろとかんがえてみること、そして、それを実行してみることだろう。たえざる自己変革と自己訓練が必要なのである。

梅棹忠夫『知的生産の技術』p.22)

「成果」ではなく「過程」を記録する

 「失敗してもいい。過程が大事なんだから。」といったようなフレーズをしばしば耳にするが、本当の意味で「過程」を大事にしている人は少ないのではないだろうか。梅棹はまさにその点を指摘している。

わたしたちの社会の、制度化された教育体系では、達成された成果を次世代につたえることには、なかなか熱心であったが、その達成までの技術を開発し、発展させようという気もちは、あまりなかったようにおもわれる。技術の開発と発展のためには、成果よりも、それにいたるまでの経過の記録と、その分析がたいせつである。ところが、そのほうは、信じられないくらいおそまつなのである。(中略)世界には、いろいろな文化があって、なかにはほとんど実質的な仕事もしていないくせに、報告書その他の書類だけは、やたらに部あついものをつくるので有名な国民もある。そんなのにくらべると、日本人は、記録軽視、成果第一主義で、実質的で、たいへんけっこうなのだが、社会的蓄積がきかないという大欠点がある。

梅棹忠夫『知的生産の技術』p.193,194)

 この本において、梅棹が一番伝えたかったのはこの部分にちがいない。フィールドワークを中心とした研究活動をおこなう梅棹にとって、その場その場で思いついたことを忘れないうちに書き留めるという行為は、もっとも大切なことであった。これがまさに「過程の記録」であり、知的生産に欠かせないものとなる。

 

 

「知的生産の技術」を1週間ほど実践してみた(※現在も実践中)。これまでに実践してきたなかで気づいたことがあったため、それらについても書こうとおもったが、長くなりそうなので次回に。

(2398字)

 

「民主主義」「平等」の欺瞞。

 ようやく卒論がひと段落したので、これまで怠っていた読書に少しずつ時間を割き始めた。すぐに読めるような軽い本を、ということで選んだのがこれ。

反・民主主義論 (新潮新書)

反・民主主義論 (新潮新書)

 

このタイトルを見て違和感を持つ人は多いと思う。なぜなら、民主主義が最善の政治形式であることは自明のことだという認識が大多数だからだ。私たちは普段から新聞・テレビ・ネットなどでニュースを見聞きし、それらから得た情報に基づいて選挙に行く。こうした行動を繰り返していくうちに、民主主義は「空気」のように当たり前のものとなる。そして、人々がその「空気」の中に入り浸ると、民主主義そのものに対して何の疑いも持たなくなってしまう。では、民主主義の本質とはそもそもどういうものなのか。

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リンゴ生活を4日間続けた。

1日目

13:00 1こ

15:30 0.5こ

18:30 0.5こ

20:30 0.5こ

22:00 0.5こ

 

サンふじを箱買いした。

蜜が程よく入っていてシャキシャキおいしい。梨に近い。

 

お昼をまわったあたりからネットで食べ物の写真を見かけるたびにちくしょーと思うようになる。パンが食べたい…。

 

頭がボーッとして何も手につかなくなる。眠気も襲ってきたので寝る。

しばらく寝て、起きてまたリンゴを食べる。

 

夜には、ウチの猫がとりささみの缶詰を食べているところを目撃してしまう。

猫でさえ鶏肉を食ってるっていうのに…とやるせない気分になる。

 

頭の働きが鈍るわ、部屋が寒いわであまり本も読めなかった。

ただただ欲望や誘惑に必死に耐えるのみ。

何も考えずに楽しめることで気を紛らす。

水曜どうでしょう」はこういう時にピッタリだなぁとしみじみ思う。

幸いにもシェフ大泉の料理の見た目は可もなく不可もなくといった感じで、食べ物の誘惑と戦うことには至らなかった。

 

生の林檎ばかり食べているため体は冷え切っている。

ブラックコーヒーでしか暖を取れない。あとは風呂。

ただ風呂に関しては少し甘く見ていたところもあり、後々痛い目を見ることになった。(そのことについては5日目にて述べる。)

 

「飽き」は林檎生活の大敵。

たまにレモン汁を少しかけて味に変化を与えた。

林檎とレモンの相性は言うまでもなし。

 

やたらとくしゃみが出る。

 

 

2日目

11:30 0.5こ

15:00 0.5こ

17:00 0.5こ

19:00 0.5こ

22:00 0.5こ

 

今思い返せば、1日目が山場だったのは明らかだ。

食べることが若干面倒くさくなってきたのもこの辺り。

「お昼ご飯何にしよう」とか「冷蔵庫に残ってる食材は…」なんて考える必要もない。

 

皮脂の分泌が抑制されてきた実感がある。

肌がすべすべになっている気がしないでもない。

 

銭湯へ行って温冷浴をした。

湯につかるのと水風呂につかるのを交互にやるアレ。

風呂あがりの体調の良さったらなかった。体が軽い軽い。

リンゴダイエット+温冷浴=最高

 

1日目と比べて体調はマシになった。

しかし、勉強や読書などの頭を使う作業は依然としてやる気が出ない。

ラジオや音楽を聴いたりして1日を過ごす。

 

 

3日目

12:00 0.5こ

14:30 0.5こ

17:30 0.5こ

20:00 0.5こ

 

3日目にしてやっと体が適応してきた感じがする。

昨日の銭湯のおかげもあって、体調が良く楽しい。

始めたときは3日で終わろうと思っていたけど延長してもいいなぁと思うようになる。

 

別の品種にも手を出してみた。「世界一」と「紅玉」。

3種類のなかでは、個人的にはサンふじが一番美味い。

 

空腹感がなくなってくる。

頭がボーッとしてきたらリンゴを食べる合図だ。

1日目にはリンゴを3個食べていたのが、3日目には2個に減っているのがわかると思う。

このようにして日を重ねるうちに食べる量が減っていく。

 
 

4日目

11:00 0.5こ

16:00 0.5こ

19:30 0.5こ

23:00 0.5こ

 

この日は近くの温泉へ。

調子に乗って1時間半くらい滞在してしまった。

ここ最近のぼくは、自宅で長風呂したり銭湯や温泉に行ったり…。

まるで負傷兵のような生活になりつつある。

長時間入っているとかなり体力を奪われるのを実感した。

帰宅してから3時間ぐっすり眠る。

 

日常生活を送るのに最低限必要な体力しか体に残されていないという感じ。

この脱力感がすごく心地いい。

 
 

5日目

12:00 0.5こ

 

起きてから体調があまりよろしくない。

体に力が入らなさすぎて移動するのも億劫である。

 

昨日の温泉で長居しすぎたのが問題なような気がしないでもない。

風呂は思ったよりも体力を奪われるもの。

しかもリンゴ一個当たりのエネルギーも135Kcal。

1日に食べる量といえば2〜3個だから、おそらく日常生活を送るための最低限のエネルギーといえる。

そんなときに長風呂したら体調が悪くなってもおかしくはない。

リンゴダイエット期間に限っては、長風呂でさえ激しい運動に値するということを身を以て知った。

 

りんごを食べて少し持ち直したものの、1時間もすると体調は再び悪化。

水でさえ飲みづらくなってきた。コーヒーも喉を通らない。

吐き気も催してきてこりゃもうダメだと思った。

 

そしてとうとうお粥を食べたのでした。

リンゴダイエットはこれにて終了。

 

本当は最終日の翌日の朝にオリーブオイルを大さじ1杯を飲まないといけないらしい。

なぜ朝なのかというと、胃や腸のなかが空っぽの状態で飲むのが重要だから。

しかし少し前に林檎を食べてしまったので、お粥にオリーブオイルを入れて食べることに。お粥とオリーブオイルは意外と合う。(あの体調でオリーブオイルをそのまま飲んだら絶対に吐く自信があった。)

 

お粥を食べていて一番感動したのは塩。

塩分を摂るのはほぼ5日ぶりだった。

人間って5日間も塩分を摂らなくても生きていけるんだ…。

 

お粥を食べ終え、体調は回復。体に力が入るようになってきた。

 
 

まとめ

単純におもしろそうだなーと思い、実験感覚で始めたリンゴダイエット。

最後の終わり方が心残りではあるけれど、やって良かったと思えることは多いです。

 

  • 体重が3kg減った
  • 肌がすべすべになった
  • ストレスや緊張でこわばっていた身体がほぐれた
  • むくみがとれて顔がスッキリする

 

これを見て自分もやってみようって思う人がいるかどうかわからないけど、念のために注意事項をいくつか。

 

  1. 仕事と並行して行わない
  2. 運動をできるだけ避ける
  3. 1日目は外出禁止
  4. 飲み物はブラックコーヒーか水にする

 

3つ目の理由についてだけ説明しておくと、前にも述べた通り1日目が最も大きな山場であることが重要です。初日さえ乗り切れば大丈夫なはず。1日目というのは「辞めるのなら今のうちだ」みたいな誘惑が最も強い時期でもあるため、できるだけ外出は避けた方がいいです。

当初の目標は3日間だったにもかかわらず、結果的に4日間となりました。リンゴは当分いらないや…。

いきなり1週間続けようとしてもおそらく初日で心が折れるでしょう。最初は1日だけでもいいと思います。軽いデトックスにはなるはず。

 

以上、リンゴダイエットの記録でした。それでは。

 

 

文学とレディオヘッド。

 


Radiohead - There, There

 

In pitch dark I go walking in your landscape
Broken branches trip me as I speak
Just because you feel it doesn't mean it's there
Just because you feel it doesn't mean it's there
There's always a siren singing you to shipwreck
(don't reach out, don't reach out [x2])
Steer away from these rocks we'd be a walking disaster
(don't reach out, don't reach out [x2])
Just because you feel it doesn't mean it's there
(there's someone on your shoulder [x2])
Just because you feel it doesn't mean it's there
(there's someone on your shoulder [x2])
There there...
Why so green
And lonely? [x3]
Heaven sent you
To me [x3]
We are accidents waiting
Waiting to happen
We are accidents waiting
Waiting to happen
 

今回はRadioheadのThere Thereという曲について。Radioheadの曲に好きなものは多いけど、たぶんこれが一番好きかもしれない。曲そのものはもちろん、MVも個人的にとても気に入っている。初めて観たときは、人間(トム)が木に変えられてゆくシーンに衝撃を受けた。

なぜ今さらこの曲に触れるのかというと、ダンテの『神曲』のなかに類似するシーンがあったから。

 『神曲』とは、著者のダンテが古代ローマの詩人であるヴェルギリウスに連れられ、地獄・煉獄・天国を案内される話。地獄・煉獄・天国にはそれぞれいくつかの階層があり、その様子がギュスターヴ・ドレの絵によって描写されている。

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